一時的なレーシックにおける後遺症ブログ:20年02月22日
中学・高校時代、
ボクはママが作った弁当を持って学校へ通いました。
アルミの大きな弁当箱の中には、
赤いウインナー、塩辛い卵焼き、ピーマンの炒め物、
ご飯はギュウギュウ詰め…
それがボクの弁当の定番でした。
昼休み、弁当の蓋を開けると、
ご飯の表面には、
のりで眉や目や鼻を、桜でんぶでくちや頬を描いて、
ママは、その日の自分の気持ちを表していました。
時には怒った顔、時には悲しい顔、
まれに、にっこりとした笑顔もありました。
前の日にママと喧嘩をしたときは、
決まって怒った顔でした。
最近は、お弁当に工夫を凝らして、
ブログなどで発表される方も多いようですが、
もう三十年以上前の話ですから、
ママの弁当は元祖デコ弁かもしれませんね。
とりわけ中学生のころは、
ほとんどママとはくちを聞かず、聞いたとしても、
ボクが怒鳴ったり、文句を言ったりするばかり…
思春期や反抗期、いろいろな理由があったのですが、
「なんで産んだんだ!ばかやろう!」
そんなことを口走った次の日は、決まって悲しい顔が書いてありました。
「いってきます」「ただいま」も言わないで、
無言で弁当を持って学校へ行く子どもに、何かを伝えようと、
弁当に託していたのでしょう。
ママがボクに気持ちを伝えようとした元祖デコ弁の顔を、
ときどき思い出します。
どんな時でも、
ボクとのコミュニケーションを諦めたり、
ボクを見捨てたりしなかったママには頭が下がります。
昨日、久しぶりに実家に帰った時、
ママに「何が食べたい?」と聞かれて
「弁当に入っていた卵焼き」と言ったら、
「せっかく来たのに、そんなものでいいの?」と言っていましたが、
ボクにとっては、ママを思い出すおふくろの味。
一番のご馳走なのです。